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寺報54号 2020夏

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寺報54号 2020夏

正信偈(24)  天親菩薩の教え⑤

「広由本願力廻向(こうゆほんがんりきえこう)為度群生彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)」

広大な本願のはたらきによって、すべての人々が救われるために「一心」をあらわされました。

 

四月に緊急事態宣言が発令され、一旦解除されたものの、ここ最近になって第二波への懸念が高まっています。今年は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止に伴い、オリンピックをはじめ、様々な行事が延期や中止になりました。お寺での法要や法座も軒並み中止になり、自粛期間中はインターネットを使った配信が主流化し、自宅にいながら法話聴聞することができ、画期的な試みでした。

 

しかし、ご年配の方やパソコン作業の苦手な方から厳しいお声が寄せられたことも事実です。何等かの形で法座を継続することも大事ですが、それによって傷ついた方がたくさんおれられたことを見過ごすわけにはいきません。

 

先月頃から少しずつ法座が再開されるようにはなりましたが、案内を見ると「遠方からの参加はご遠慮ください」との注意書きが添えられており、そこでもまた人間の排他性という問題を突きつけられたことです。

 

ある方が今回のコロナ騒動について、

私たちは今、コロナウイルスという「レントゲン」にかけられて、様々な心の病巣を見せつけられているのかもしれません。

というような表現をされていました。本当にそうですね。感染された方だけでなく、日々医療の最前線で新型コロナウイルス感染症に立ち向かう医療従事者やそのご家族が差別や偏見にさらされている悲しい現実を思う時、決して他人事ではないことを知らされます。

 

またアメリカでは、人工呼吸器が足らず、医師が感染者の命を選別しなければならない事態が起こりました。まさにこの世で「すべての人々が救われる」ことがいかに難しいのかを教えられました。

 

「平等性」が重視される世の中ですが、このように私たちが住む世界には、どうしても選別や順位付けが起こってしまうものです。受験や偏差値などがその最たる例でしょう。

 

しかし『正信偈』を見ますと、天親菩薩のお仕事について「為度群生彰一心(すべての人々がすくわれるために一心をあらわされました)」とあります。

 

誰一人もらすことなく、すべての人々を救うと誓われた阿弥陀仏のおこころ(=本願)を天親菩薩が身に受け、目覚めていかれたのです。

 

仏教の多くは、迷いの存在が修行を積んで、仏さまに近づいていく教えです。その場合、自らの行いを仏さまに差し向ける(=廻向)ことが条件です。しかし浄土真宗では、阿弥陀仏が自己中心的な生き方をしているために苦しんでいる私に対して、その有り様を知らしめた上で、必ず救うと誓われ(=本願)ていると教えられます。高いところから「ここまで来い」と言われる仏さまではなく、苦しんでいる私のところまで来て、なぜ苦しいのかを私に考えさせ、本当の世界へと導いてくださる仏さまが阿弥陀仏なのです。この構造を世に広く伝えていかれた方が天親菩薩でした。

 

私から仏さまに廻向するのではなく、仏さまから私に差し向けられた願いであることの気づきを「一心」と言います。

 

仏教を聞き、学んだからといって人生に辛い出来事が起こらないわけではありません。良いことがあれば当たり前、想定外の辛いことがあると「こんなはずじゃなかった」と嘆き、問題から逃げようとする私に、その姿を自覚させ、どのように生きるのかを教えるのが仏法なのです。

 

私たちは「遇縁(ぐうえん)の存在」ですから、縁によって生活が一変することもあります。その思い通りにならない出来事を縁として、苦悩を消し去るのではなく、身に起こっている事実をしっかり受け止めて心の底に置き、どのような境遇に置かれても、そこから「生きなおす力(智慧)」を選別なしに、すべての人々に与えられることを「本願力」というのです。