12月の法語は「すくいとは 現実を受け入れる 主体をたまわること」です。
私たちは「すくい」ということについてどのように考えているでしょうか。不都合な出来事が全て取り除かれ、自分の思い通りになることだと勘違いしている節があるように思います。
しかし、たとえ思い通りになったとしても、絶対に長続きすることはありません。しばらく経つとまた思い通りにならない出来事に直面し、その現状からの脱却を望むことでしょう。これでは、いつまで経っても堂々巡りです。
この場合の主体は、何でも自分の思い通りにしたいという思い(自我)ですから、ものごとの道理を無視していることになります。
この世におけるあらゆるものは「原因」に「縁」が伴い「結果」が生まれます。この法則は、性別・年齢・目の色・肌の色など一切関係なく、誰の上においても成り立ちます。この真実の法則を教えるのが「仏法」なのです。
真実を説く仏法との出遇いによって、自我を主体としていた私の身が転じられ、現実と向き合い、生き抜く力が与えられるのです。このことこそが、普遍的な「すくい」なのです。