9月の法語は「蚊を潰す手に力が入る 今年の夏もたくさん殺生した」です。
生き物の命を奪うことを「殺生」と言い、仏教の戒律のなかで最も重い罪とされています。しかし、私たちは他の命をもらわなければ生きることができません。現代ではこの事実に関する痛みが薄れている、あるいは忘れているように思います。
道路で轢かれている小動物を「かわいそう」と感じるのに、近づいてきた蚊は潰して当たり前。トラックに積まれた牛を気の毒と思うのに、部屋に入ってきた蜂は殺虫剤で殺して当たり前。このような法則が自分でも気づかないうちに成立しています。他の命を思いのままに操る人間が生物界のトップに君臨しているかのようにさえ思えます。
しかし、殺生することに対する「かなしみ」や「いたみ」に無感覚である上に、他者と比べ、思い通りにならないことを「苦」と受け止める私のことを親鸞聖人は「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)」と言われました。